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ジネディーヌ・ジダン |
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第1回目は、リーガエスパニョーラのレアルマドリッド所属フランス代表のジネディーヌ・ジダン選手です。
本名:ジネディーヌ・ジダン(Zinedine Zidane)
愛称:ジズー
1972年 6月 23日生まれ
フランス マルセイユ 出身
185cm 80kg
在籍チーム遍歴
1988-92 カンヌ
(フランス)
1992-96 ボルドー
(フランス)
1996-01 ユベントス
(イタリア)
2001- レアル・マドリッド
(スペイン)
『宇宙人』彼と対戦した選手は口々に彼をこう呼ぶ。時にはチームメイトですら『宇宙人』と彼を例える。その呼び名は決して差別用語ではなく、ある意味「尊敬」の念すらこめているのかもしれない。
アルジェリア人の夜警の息子として生まれた彼は、マルセイユの治安の悪い地域で育った。敬虔なイスラム教徒でありアフリカ移民の息子であったジズーは、地元住民らによる人種差別にたびたび耐えなければならない幼少時代を送った。
そんな中、ジズーはサッカーを覚えた。細い裏通りでサッカーを覚えた。これが、のちに「マルセイユ・ルーレット」と呼ばれるジズーの必殺ドリブルにつながるのである。
その後ジズーは14歳のときにスカウトされ、学生としてFCカンヌに所属した。17歳という若さでフランス1部リーグにカンヌの選手としてデビューし、1990-91年シーズンを迎える頃までには、レギュラー・プレーヤーとしてポジションを獲得していた。しかし、その甲斐もなく1990-91年のシーズンの終わりにはチームが降格となった。ジズーは意を決して荷物をまとめ、ジロンダン・ドゥ・ボルドーでの新たなチャレンジへと向かった。ジズーを迎えたボルドーは、フランス・リーグの優勝争いの常連となった。ジズーは、1995-96年シーズンの終わりにUEFAカップで初めて本格的な活躍を見せた。ただし、ボルドーは決勝戦まで進出したものの、強豪のバイエルン・ミュンヘンに敗れた。この頃すでにジズーは、1984年の欧州選手権のとき、ボール・ボーイとして目の当たりにしていた伝説プレイヤー、ミシェル・プラティニと比較されるほど成長していた。
国際舞台へのみごとなデビューは、その後の華々しい活躍の序章であった。ジズーは、チェコを相手に2-0の劣勢に立たされていたフランス・チームの交代選手として出場し、記憶に残る2得点を挙げた。ジズーに救われたフランスは何とか引き分けに持ち込むことができたのである。
「代表選手」としての真の意味での躍進が見られたのは、1995-96年シーズンの欧州選手権である。ナショナル・チームの監督、エメ・ジャッケはジズーに信頼を置いていた。なぜならこのミッドフィルダーは、ジャッケが最も重要視している、サッカー・プレーヤーとしての2つの資質、見事なボールさばきとゲーム中の際立った懸命さを備えていたからである。
こうしてフットボールプレーヤーとして成功を収めた後も、フランス国民全体からは、そう簡単に受け入れられたわけではなかった。フランス代表が予想外の敗退をし、96年ヨーロッパ選手権(ユーロ96)から早々に姿を消したのを受け、フットボールファンの間には“ザ・カラード(有色人種)”と呼ばれる選手たちのチームへの参加に疑問を抱くネガティヴな傾向があった。
それでもクラブと祖国のために大活躍を続けていたジズーは、1996年春にヨーロッパのトップ・クラブからオファー攻めにあったが、シーズン・オフ中にイタリアのクラブ、ユベントスに移籍することを決めた。イタリアでは、1996年のFIFA世界クラブ選手権で初めて本領を発揮し、南米の覇者リーベル・プレートとの対戦でユベントスを勝利に導いた。1997年と1998年にイタリア・リーグ・タイトルをものにした後、ついに1998 FIFA ワールドカップ・フランス大会。祖国のファンの眼前で最も権威ある栄誉に預かるチャンスを与えられた。そしてジズーは、ブラジルとの決勝戦で何と2つのゴールを決め、フランスの優勝に貢献した。その功績にかつてないほど国中が沸いた。この国をあげての熱狂は、チームの成績のみならずその多文化的な構成を認め、祝福しあうパーティーだったと言ってもいいだろう。もうジズーを「移民の子」として見る者など誰一人としていなかった。
2000年夏にフランスは欧州選手権の覇者となり、バロンドール(欧州最優秀選手賞)を受賞。さらには、世界各国のナショナル・チームの監督が投票する年間世界最優秀選手にジズーを迷うことなく指名した。3年のうちに同タイトルを2回獲得したわけである。
1年後にジズーは、4,720万ポンド(当時の日本円で約88億円)という移籍金史上最高額(当時)でスペインのクラブ、レアル・マドリッドに移籍した。年収は約500万ポンドと言われている。サンチャゴ・ベルナベウの大観衆をたった数秒の“ダンス”で魅了し、両足、更には足の裏を巧みに使ったボールコントロールは華麗の一言に尽きる。必殺のスルーパスだけではなく、得点能力も高くゴール前でフリーにすると決定的な仕事をされてしまう。相手チームにとってはまさに脅威だ。
そして2001-02シーズンには念願だったUEFAチャンピオンズ・リーグ優勝を果たし、自身も決勝戦で「宇宙人的」スーパー・ゴールを披露。世界一のプレーヤーの実力をまざまざと見せつけた。「彼には絶対勝てない。彼は宇宙人だから自分には勝ち目などあるはずが無い。」そんなコメントを相手に言わせてしまうジズーも2002日韓共催ワールドカップでは怪我に泣かされた。勝ち続けるからこその連戦による、疲労。彼が生身の人間であることを「怪我」という形で証明したときであった。
しかし、現在はマドリードで魔法のようなサッカーでファンを魅了し続けている。ジズー本人は、自分の成功の理由をあっさりとこう語る。「父はすばらしい人だ。彼は私に、すべての人に敬意を払っていれば、自分自身が人々から敬意を払われるようになるということを教えてくれた。」
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▲ジダンの獲得したタイトル
1995-96:UEFA CUP優勝
1996:欧州スーパーカップ優勝
〃 :トヨタカップ優勝
1996-97:スクデット(セリエA優勝)
1996-97:ビッグイヤー(欧州チャンピオンズリーグ優勝)
1997-98:スクデット(セリエA優勝)
1997-98:ビッグイヤー(欧州チャンピオンズリーグ優勝)
1998:フランスワールドカップ優勝
5試合2得点
〃:欧州最優秀選手賞(バロンドール)受賞
〃:世界最優秀選手賞受賞
2000:欧州選手権優勝(オランダ・ベルギー共催)
〃 :世界最優秀選手賞受賞
2001:欧州スーパーカップ優勝
〃 :トヨタカップ優勝
2002:欧州スーパーカップ優勝
〃 :日韓共催ワールドカップ出場
1試合0得点(グループリーグ敗退)
2001-02:ビッグイヤー(欧州チャンピオンズリーグ優勝)
2002:トヨタカップ優勝
2002-03:リーガ・エスパニョーラ優勝
2003:世界最優秀選手賞受賞 |
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